神に祈る僧侶
皆さん神と仏の違いって分かりますか?この問題には諸説紛々としていますが
私なりに簡単に説明すると
・神=良い事が起きたりするのは神のおかげ、だから崇めなさい。 単発的
・仏=良い事が起きたりするのは日頃の行い、だから精進しなさい。継続的
とこのような考えの違いがあります。なので僧侶は神を頼ってはいけないんです。
でも私はときどき神頼みをしてしまいます。
【どちらにしようかな天の神様の言う通り】という2択を決めるときに言うおまじないを皆さん知っていると思いますが僧侶は一応信仰的に神様の所を仏様と言います。
神様と仏様だと4文字と5文字で結果が変わるんですよね、だから選んだ方じゃないのがやっぱり良いと思ったときは神様の言うとおりにします。
良いことしたらなにがおきる?
いいことをしたのに見返りがないって思うときありませんか?
私も昔はよく思いましたよ。ひっくり返って死を悟っているカナブンや寺の池に飛び込み死を悟っているカナブンを助けたり
電車では席をお年寄りに譲り卓球の審判くらい顔を左右に振っている迷った外国人の道案内をしたりと
良い行いをしてるはずなのに逆に嫌なことがその日に起きることもあります。
じゃあ良い行いは無意味ってこと?と思ったかもしれませんが実は死んだ後に返ってくるんです。
浄土(天国)か地獄に行く判断は現世で手に入れたポイントがプラスかマイナスかで決まると思っており
例えば誤って虫を殺してしまった場合は-10Pで席をお年寄りに譲ったら+15Pみたいに生きている間は常にポイントの変動が起きております。
ポイント表は死んだときじゃないとわかりませんが、とりあえずは自分自身で決めていただいて大丈夫です。
まとめ
良いことをしても直ぐに返ってくることはありません。
でも死んだときに全て返ってくるので未来の投資だと思い生きている間は良い行いを沢山してください。
あと良いことをすると気分もよくなりますしね(笑)
お坊さんの思う自殺とは
私はいろんな死因の方の法要をしてきましたが一番やりたくないのは自殺の法要です。
本来、法要というのは故人様に対して悲しい気持ちから居てくれてありがとうと感謝の気持ちに変わっていく為に行うことなんですが、自殺だけは何回法要を行っても
『どうして気づけなかったんだろう』など施主さんや友達が後悔し続けます。
仏教では自殺は絶対に悪いというわけではありません、実際にお釈迦様のお弟子さんも自殺をしてる方もおり自殺しても浄土に行くことは出来ます。
ただ、私は自殺した人は浄土に行っても残された人は生きてる間は地獄の様な苦しみ耐えなければならないので自殺はやっぱり良くはないと思います。
いま自殺をしようとしてる方はきっと死ぬしか選択肢がないほど辛い状況だと思います
どうかお願いです、死ぬ前に自分の大切な人の顔を思い出してください。あなたの感じてる苦しみをその人に渡すことになります。それが嫌でしたら、どうか我々僧侶を頼ってください。苦しみに対して解決できなくとも死ぬ以外の選択肢を作ることは絶対に出来ます。
お坊さんって何でハゲなの?
僧侶になると『ねぇ~なんで僧侶はハゲになるん?』と言われることが多くなります。
皆さんも気になってますよね?まず最初に衝撃的な事実を教えたいと思います。
僧侶はハゲじゃないんです。坊主なんですよ!剃らなきゃロン毛になります。
では、なぜ僧侶は坊主にするのか?その答えは『煩悩を断ち切る』為なんです。
髪伸びたな~どんな髪型にしようかな~と考えることが煩悩と言われており、その考える時間があるなら仏教を学べということで坊主なるそうです。※諸説あり
ただ、私は伸びるのが早く2日経つと高校球児くらい伸びてしまうのである日師匠に『剃るほうが煩悩多くないですか?』と聞いたことがあるんです。そしたら師匠が
『んーわしは煩悩を断ち切ったから生えなくなった』と言ってきたので
皆さんが思ってる僧侶=ハゲは間違ってないのかもしれませんね
私はお坊さん
どうも、お坊さんです。
これからブログで書いていこうと思う内容は
・日常や時事ネタ
・修行話
・見てくれる人が増えればコメントでの相談や質問なども受付も行いたいと思ってます
簡単な自己紹介
在家(家がお寺ではない人)出身の僧侶レベル赤ちゃん
彼女はいないが70~80代の女性からは良く素敵と言われます
文章力は高くない系僧侶なので皆様の読解力で修正してくだいね